
PTTで働くスタッフにフォーカスする"スタッフインタビュー"。
弊社設立時からトレーナーとして活躍している川平トレーナーに話を伺いました。
経験豊富な川平トレーナーにトレーナーになるまでの経緯、現在、そして将来について語って頂きました。
弊社設立時からトレーナーとして活躍している川平トレーナーに話を伺いました。
経験豊富な川平トレーナーにトレーナーになるまでの経緯、現在、そして将来について語って頂きました。
共通の質問ですがトレーナーという職業を目指されたのは何故ですか?
−川平 日体大の先輩にこんな仕事あるんだけどしないか?と言われたのがきっかけです(笑)
当時、リクルートがアメリカンフットボールに力を入れ始めていた時だったので、土日テープを巻きにいったらいい日当が貰えると・・(笑)
当時、リクルートがアメリカンフットボールに力を入れ始めていた時だったので、土日テープを巻きにいったらいい日当が貰えると・・(笑)
川平さんは日本体育大学ご出身ですが、当時は殆どの方が教職の道に進まれたと思うのですがその道の選択肢はなかったのですか?
−川平 教育実習の時に私には向いてないと悟りました(笑)大学の卒業も近くなっても自分が一体何がしたいのかわからずにいました。
一度だけ、給料が良くて休みが多い企業説明会にいったんですけどね(笑)
当時の恩師で、今話題の山本KID選手や美憂、聖子の父親の山本郁栄先生の勧めで、結局、2年間大学のスポーツ医学研室の研究員として籍を置くことになったんです。
最初は体育の先生になるつもりだったので、テープとか憶えていたら便利かなと思い、大学内にあった『トレーナー研究会』に入って腕を磨きました(笑)
当時はトレーナーという職業は確立されていたのですか?
−川平 当時はトレーナーだけをしているというようなことは少なかったように思います。
どこかの企業に属してトレーナー活動をしている・・そういった感じでしょうか?
例えば、トレーナー研究会の先輩で長尾さんっていう方がおられるのですが、ニチバン(テープメーカー)に属しながら、日本体育大学ゴールデンベアーズやアサヒビールシルバースターなどで活躍されていました。
或は教職に就きながら、トレーナー活動をしている方もいらっしゃいました。
2年間、医学研究室を経て、その後リクルートシーガルズ(アメリカンフットボール)でヘッドトレーナーとして5年間お世話になりました。
当時の社会背景としては、私が在籍した最後の方はバブルがはじけて、企業スポーツは大打撃を受けました。
リクルートも例外ではなくて、大幅なコストカットを迫られました
どこかの企業に属してトレーナー活動をしている・・そういった感じでしょうか?
例えば、トレーナー研究会の先輩で長尾さんっていう方がおられるのですが、ニチバン(テープメーカー)に属しながら、日本体育大学ゴールデンベアーズやアサヒビールシルバースターなどで活躍されていました。
或は教職に就きながら、トレーナー活動をしている方もいらっしゃいました。
2年間、医学研究室を経て、その後リクルートシーガルズ(アメリカンフットボール)でヘッドトレーナーとして5年間お世話になりました。
当時の社会背景としては、私が在籍した最後の方はバブルがはじけて、企業スポーツは大打撃を受けました。
リクルートも例外ではなくて、大幅なコストカットを迫られました
川平さんは関西ご出身なのでやはり戻ってきたいという思いがあったのですか?
−川平 勿論、ありました。
そこで弊社代表の西岡との出会いになる訳ですが、かなり昔のことですね(笑)
当時、ロート製薬がアイシングバンテージ新発売に伴ってセミナーを行なったのですが、その時の司会を私がしたのです。そのセミナーに参加していたのが偶然にも西岡だったのです。
いや、狭い業界ですからその前にも会ってるかもしれません・・(笑)
リクルートからオレゴン大学に研修で行った時に西岡も行っていたそうなので多分それが最初の出会いかもしれません。なぜか西岡は私のことを東京の出身だと思っていたそうですよ(笑)
そこで弊社代表の西岡との出会いになる訳ですが、かなり昔のことですね(笑)
当時、ロート製薬がアイシングバンテージ新発売に伴ってセミナーを行なったのですが、その時の司会を私がしたのです。そのセミナーに参加していたのが偶然にも西岡だったのです。
いや、狭い業界ですからその前にも会ってるかもしれません・・(笑)
リクルートからオレゴン大学に研修で行った時に西岡も行っていたそうなので多分それが最初の出会いかもしれません。なぜか西岡は私のことを東京の出身だと思っていたそうですよ(笑)
その出会いがPTTへ入社されるきっかけとなった訳ですか?
当時の日体の先輩方にどこかいいところ(チーム)はないですか?など色々と相談しました。その時に企業名、競技名は明かせないが関西のチームでトレーナーを探しているという情報をもらったのです。結構、私は運はある方じゃないでしょうか?(笑)
その時、業界は狭いと感じたのですが、その話が大学の先輩からと西岡からと両方から聞いたのです。
私の関西でという思いとも合致したのでスムーズに話は決まりました。1993年のことです。
そのチームは神戸製鋼ラグビー部だと思うのですがそれから何年神戸製鋼にいたのですか?
−川平 10シーズン(9年間)お世話になりました。
いわゆる神戸製鋼の黄金期でした。そのうち、社会人の日本一を4回、日本選手権の優勝を4回経験させてもらいました。
いわゆる神戸製鋼の黄金期でした。そのうち、社会人の日本一を4回、日本選手権の優勝を4回経験させてもらいました。







